2007年07月14日(土) 09:53
見れない時はダブルクリック

天に帰った天衣みつの解凍方法NO1

新人ばっかり追いかけないで、あたしの事も未練がましく思っていてね

無臭性の作品を観るときは、コソーリね

少女を犯したくなったリ、援助交際したくなった時は あたしの作品を観て、イパーイ抜いてね

女の子に相手にされなかった時も、仕事で上司に怒られてムシャクシャした時は、
みつをのモノローグ作品を観て ふわふわの気持ちになってね

みつをがロリにこだわったり、
恥ずかしいの我慢して大量のオシッコしたりしたのも、天女の諸事情からでした

みつをに会いたくなった時は、
さみしい気持ちに羽衣の糸をこすり付けて(DVDをプレイヤーにセットして)ください

みつをは何時でも、あなたの前に現れます

きてっ、きてっ、
ふたりで一緒にダメになろぉ

あっ、すごい
やばいっ、やばいっ、
イチャう、イチャう、

やんっ、やんっ、またイチャう、またイチャう・・・

んあ、ぁぁ・・ いっぱい出た〜

ほら、どろどろした欲望を全部飲んじゃったぁ

でも、あたしたちの事を肉便器だなんて思っているヤツ等のとこには、行ってやんねぇからな

You know?
OK?
2007年06月10日(日) 23:12

ウルトラQや、ウルトラマン、ウルトラセブンに登場する怪獣たちのデザインしていたのは、
成田 亨(なりたとおる)という彫刻家・造型家だった。
生まれてスグに青森県にやって来た。
ヘンな言い方だが、怪獣たちのふるさとは青森県だという見方も可能なのかもしれない。

「新しいデザインは必ず単純な形をしている。
人間は考えることができなくなると、ものを複雑にして堕落してゆく」
・・・以下、成田 亨の言葉を並べる。

その頃の私は怪獣、宇宙人、新兵器のデザインをしていました。
いまだかつてこの世にいない形を創り出していくのは大変でもあり、楽しくもありました。
台本は出来ていないことがほとんどで、
企画書から次の話はこんな風になりそうだと聞いて、私のイメージをふくらまし、そして描くのです。

回を重ねるとこの企画者が不思議なことを言い出しました。
次は戦艦大和を怪獣にしてくれ、と言うのです。そんなもの怪獣になるわけがない、
あまりにもマンガ的発想です。

私は特撮はマンガとは全く違うと思っていましたが、言い争って企画にまでハマリ込む気にもならず、
なんとか大和の怪獣を作りましたが、今度は恐竜戦車だと言うのです。

私はこのプロダクションは永く居る所ではないナ、と思い始めました。
さらに困ったのは全身にケロイドをつけてくれと言う監督が現れ、私が築いた美学は否定されようとしています。
円谷英二さんとの間にも亀裂が入り始め、私はプロダクションを辞めました。

私は何かをやらねばならない時には必ず『根本』というものを考えます。
例えば絵を一枚描くときには初動・エモーション(最初の感動)を大切にします。

私の絵は私のエモーションを具体化するためだけに描くのであって、
絵画の常識にへつらったり、展覧会に並べて人に讃められるのを期待して描くのではないからです。

エモーションの形を追いつづけるのです。
それが作家の精神です。
芸術というのは、このエモーションを追いつづける無償の行為だと私は思っています。

若い人たちがいうように、私以後によい怪獣が生まれていないとしたら
そのデザイナーたちは、怪獣の中で怪獣を考えようとするからかも知れません。

成田 亨の怪獣デザインの多くは、天然自然の生物が元になっていたようだ。
だから、機能美・必要美があり、ただ怖いだけではなく味がある。どこかしらユーモアもある。
それらを元に、イメージ膨らませて、膨らませて、中に人間が入れるような造型をしていく。

この純粋な思考に、割って入ってきたのが、スポンサーである「BANDAI」の社長だった。
ここは赤にしろ。赤いものの方がよく売れる。
玩具にしたときセットで売れる物をつくれ。
そういった現場でのやりとりは、実相寺昭雄が本に書いていた。

・・・重ねて書きますが、よいデザインを創る条件は−、
根底から問題を問い直すこと。
形に対して、きびしく自分を問うことです。
デザイナーではなく作家の精神をもつことです。

そして一人で考え、一人で描くことです。
たくさんの人が集まって相談するとデザインは必ず、くだらないものになります。
そして、これがよいと思ったら強引に押し通すことです。

新しいデザインは必ず単純な形をしています。
人間は考えることができなくなると、モノを複雑にしてして堕落して行くのです。

「堕落して行く人間」という言葉で、成田 亨は何を言いたかったのか?

ウルトラマンの故郷は、沖縄である。
ウルトラマンを作った沖縄の金城哲夫は、もういない。

そして、怪獣たちを造った成田 亨も、もういない。
だが、その作品たちは何百年かの命をもって、未来の人間に故郷の話を語っていくことだろう。
2007年06月07日(木) 23:40

M.Aに捧げるオマージュ
「東京ふるさと」
気持ちいい秋晴れの中、都電に乗って出かけた
すこし開いた窓から、やわらかな風が入ってきて、
あたしの頬をなでていった
チンチンと鳴る、あの懐かしげな音を聞きながら
ゆっくりと過ぎていく町並みを眺めていた


終点の三ノ輪橋にある商店街は、すごくやさしい匂いがする
暖かく、懐かしく、心地いい匂い
思わず、この風景に、とけ込んでしまいたくなった
ゆったりと流れていく時間の中にいたら
いつの間にか、笑顔に戻ったあたしがいた


いろんなことがあった3年間だった
つらいことも多かったけれど
この3年前に出会った人たちが、
親友になり、旧友になって、今のあたしの宝物になっている
いま、あたしは いちばん充実した人生をいきているのかも知れない
そんなことを、ふと考えた
買い物をして、だらりんと歩いて、「おむす人」を買って帰ろう
空にはもう 星が輝いていた
今日は、いい一日を過ごせたな・・・
今日一日のような人生を過ごせたらいいな、そんなことを思った



